キャニメーションの森
2006年4月から開設していましたブログ「アニメーションの森」の続編です。デザインの専門学校で一昨年前40周年を迎えたアニメーション学科の学生たちの授業の様子やキャンパスレポート、卒業生の活躍を主に更新しておりますが、その役割はODCのホームページに任せて、ここのところは、プライベートなことをつぶやいています。
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何年ぶりでしょ?
かつての東洋現像所、その後IMAGICA WESTとなり、現在はIMAGICALab.となっているポストプロダクション。
本日試写室にて貴重なアニメーション作品の上映会が行われました。
『桃太郎 海の神兵』
1945年に公開された戦時中に制作された、海軍省の国策アニメーション長編映画。
IMAGICAの試写室を使っての上映ということで35㍉フィルムでの映写。
日本映画撮影監督協会と松竹映画がタッグを組んでのイベントなので実現した貴重な上映会でした。

学校の
ある、堂島からIMAGICA Lab.へ行くには、徒歩60分、自転車30分、環状線大阪駅から桜ノ宮駅までそこから徒歩10分とさまざまな行き方はありますが、長年行き来をしていた我々には知られざる裏ワザがあります。
それは、大阪駅から発着している帝国ホテル行きの送迎バスを利用するのです。
帝国ホテルとIMAGICA Lab.は目と鼻の先。交通費かからずにIMAGICAに行けるんです。
久しぶりの利用。
以前どおりでした。

扇町講演方面の経由ではなく、空心町交差点経由に変わっていたけど。
卒業制作の撮影後
現像とラッシュプリントの作業をお願いに利用した玄関・窓口です。

会場は7階の試写室。

35㎜の映写機がセットされています。
昔は常設だったはずでしたが、この日のために設備されたのでしょうね、きっと。

映写後は
当時の制作スタイルに詳しい大先輩たちによる、作品解説と技術解説。

『桃太郎 海の神兵』が
公開されたのが1945年。前でお話されている撮影監督協会の島村さんも岡部さんもこの業界で仕事を始められたのは戦後なので、当時の制作に直接関わったわけではというわけではありませんが、戦争を体験されているわけですから、当時の時代背景にシンクロさせた体験談は、とても貴重なお話でした。
戦時中に制作されたアニメーションですが、100人にもおよぶアニメーターたちが集められて制作が始まったようです。
しかし時代は、敗戦に向かって行く大変な時期。
多くの若者は戦場に駆り出され制作の全てに関われたメンバーは、そのうちの何十人という話を聞くと心が痛みます。
関西でも縁故疎開が始まった時期での公開でしたので、出来上がった作品を見る人も誰もがというわけではなかったでしょう。
現在の
アニメの動きとは、質が全く違いますね。
とにかく緻密で丁寧。
今のアニメはレイアーに分けて逃げてしまうことが可能ですが、このアニメーションはどの動きも本質がパラパラ漫画にあることが伝わってきます。
表情の微妙な変化が大切にされている。曇らせたり何かを思いつめたりする表情の動き。動物たちを擬人化させてキャラクター描写しているのですが、とても生き生きしていることに驚かされます。
演出も素晴らしい。
降下の準備に綱に金具を掛けるアップショット。
落下傘が順に開いていく様はリズム良く美しい。
落下傘降下の後、地上での戦闘の一連のシーンは、戦闘場面ではあるのだけれど、スリリングな展開にわくわくさせる。
台詞のない、テンポの良いカット割りと兵たちのテキパキとした動きは、戦場での無駄のない動作に臨場感とリアリティを感じさせる。
落下傘で落とされた武器の周りに身を伏せながらたちまち集まる兵たち。
無言で装備を身にまとい、銃声が途切れると体を起こし、そして抜刀して突撃。
身体の大きな力強そうなクマが敵壕の死角から忍び寄り豪の重砲を豪から引き抜き、銃を構えた降下兵たちが敵陣に雪崩を打って突入。
装甲車で脱出を図る敵兵。
手榴弾で装甲車のタイヤを爆破。
装甲車のハッチを開け短刀を中に向かって振り下ろす。
さすがに、戦場なんだと気がつかせる緊迫させる一連のシーン。
かつての東洋現像所、その後IMAGICA WESTとなり、現在はIMAGICALab.となっているポストプロダクション。
本日試写室にて貴重なアニメーション作品の上映会が行われました。
『桃太郎 海の神兵』
1945年に公開された戦時中に制作された、海軍省の国策アニメーション長編映画。
IMAGICAの試写室を使っての上映ということで35㍉フィルムでの映写。
日本映画撮影監督協会と松竹映画がタッグを組んでのイベントなので実現した貴重な上映会でした。

学校の
ある、堂島からIMAGICA Lab.へ行くには、徒歩60分、自転車30分、環状線大阪駅から桜ノ宮駅までそこから徒歩10分とさまざまな行き方はありますが、長年行き来をしていた我々には知られざる裏ワザがあります。
それは、大阪駅から発着している帝国ホテル行きの送迎バスを利用するのです。
帝国ホテルとIMAGICA Lab.は目と鼻の先。交通費かからずにIMAGICAに行けるんです。
久しぶりの利用。
以前どおりでした。

扇町講演方面の経由ではなく、空心町交差点経由に変わっていたけど。
卒業制作の撮影後
現像とラッシュプリントの作業をお願いに利用した玄関・窓口です。

会場は7階の試写室。

35㎜の映写機がセットされています。
昔は常設だったはずでしたが、この日のために設備されたのでしょうね、きっと。

映写後は
当時の制作スタイルに詳しい大先輩たちによる、作品解説と技術解説。

『桃太郎 海の神兵』が
公開されたのが1945年。前でお話されている撮影監督協会の島村さんも岡部さんもこの業界で仕事を始められたのは戦後なので、当時の制作に直接関わったわけではというわけではありませんが、戦争を体験されているわけですから、当時の時代背景にシンクロさせた体験談は、とても貴重なお話でした。
戦時中に制作されたアニメーションですが、100人にもおよぶアニメーターたちが集められて制作が始まったようです。
しかし時代は、敗戦に向かって行く大変な時期。
多くの若者は戦場に駆り出され制作の全てに関われたメンバーは、そのうちの何十人という話を聞くと心が痛みます。
関西でも縁故疎開が始まった時期での公開でしたので、出来上がった作品を見る人も誰もがというわけではなかったでしょう。
現在の
アニメの動きとは、質が全く違いますね。
とにかく緻密で丁寧。
今のアニメはレイアーに分けて逃げてしまうことが可能ですが、このアニメーションはどの動きも本質がパラパラ漫画にあることが伝わってきます。
表情の微妙な変化が大切にされている。曇らせたり何かを思いつめたりする表情の動き。動物たちを擬人化させてキャラクター描写しているのですが、とても生き生きしていることに驚かされます。
演出も素晴らしい。
降下の準備に綱に金具を掛けるアップショット。
落下傘が順に開いていく様はリズム良く美しい。
落下傘降下の後、地上での戦闘の一連のシーンは、戦闘場面ではあるのだけれど、スリリングな展開にわくわくさせる。
台詞のない、テンポの良いカット割りと兵たちのテキパキとした動きは、戦場での無駄のない動作に臨場感とリアリティを感じさせる。
落下傘で落とされた武器の周りに身を伏せながらたちまち集まる兵たち。
無言で装備を身にまとい、銃声が途切れると体を起こし、そして抜刀して突撃。
身体の大きな力強そうなクマが敵壕の死角から忍び寄り豪の重砲を豪から引き抜き、銃を構えた降下兵たちが敵陣に雪崩を打って突入。
装甲車で脱出を図る敵兵。
手榴弾で装甲車のタイヤを爆破。
装甲車のハッチを開け短刀を中に向かって振り下ろす。
さすがに、戦場なんだと気がつかせる緊迫させる一連のシーン。
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